スポーツしかしてっこなかった人間が、別の言葉を話す国に、言葉が堪能でもないまま行くとどうなるか...。
「あそこにいるのが私のフィアンセなの」って言われて
「あぁ、あの人が大好きに違いないね」なんて見当違いなことを言い出す。
そんな感じです。笑
苦い経験...。
英語下手だったなあ。
オーストラリアで得た失敗論
ハロー アイム Mikiko. アイム フロム Tokyo.
くらいしか言えなかった私でしたが、帰るまでにはバイトしてもほぼ支障ない程度にまで喋れるようになってました。
英語の勉強はほぼしてない。
ただ何百人もの人と出会って話しまくった。それがストレスになったこともあったけど、あの何百回もの自己紹介がなかったら今ほど新しい人に会って関係を築いていく度胸も生まれてなかったと思う。
失敗しても「ネイティブじゃないし」「この国の人間じゃないし」なんて気持ちでいたら、自然と「失敗してもいいじゃない」と思うようになってました。
スポーツできると色々と得です。スポーツチームに混ぜてもらえる、チームにいてほしいって思ってもらえる、友達できる、スポーツ教えられる、言葉が通じ切らなくても悪い印象にならない、などなど。
ちょっと出費は痛かったですが、大学のバスケチームに入っていたのも正解でした。練習の中でも外でも刺激的な日々を過ごすことができました。練習方法とかも違うし、表現の仕方も違う。楽しくみんなで考えながら課題を解いていこうっていう姿勢がありました。
バスケチームに参加したこと、バイトをしたこと、ボランティアしたこと、寮に住んだこと、色んな分野の人に会えた日々は全部刺激的で、かなりストレスでもあって、慣れれば全部楽しいことでした。
勝たねば満足しないアスリートだった私を失敗できる人間にしてくれたのがここまでの話。
新しい人生観
そして大事な大事な経験がもう一つ。
滞在中、縁あってPhDの学生の研究のお手伝いをすることができました。
テーマは「中高齢者の運動プログラムについて」
3ヶ月間肥満の対象者をトレーニングして、どのプログラムが一番結果に貢献したかを調べるもの。このトレーニングがパーソナル形式な為、30分間1対1で私が中高齢者のトレーニングの面倒をみるというなんとも英語初心者には高いハードルでしたが、猫の手も借りたい学生がこんな私を受け入れてくれたんです。
最初はそのPhDの学生についてもらいながらやってたんだけど、なんせ訛りの強い高齢者独特の喋りで、会話を30分間成り立たせるのが不可能でした。
みんないい人なのに何も話せない私がもどかしくて辛かったけど、必ず休まずに行った。失敗してもいいと思って行った。そしたらだんだん話もできるようになってきて、人生の先輩である人たちからアドバイスをもらうようになったり、マラソンイベントに誘われるようになったり、私が参加するスポーツイベントに応援に来てくれるようになったりしました。
その人たちから言われたこと。「あなたが好きなように生きたらいい」
それまでの私は、いつもみんなとやりたいことや発想が違っていて、それが個性であって誇りでもあったんだけど、どこか後ろめたくて、どこかハマってない感を抱えてました。
それが、オーストラリア行ったら誰も変とか普通じゃないなんて言ってくることなくて、その発想は面白いね、いいね、やってみたらいいよ、って感じで
「私が欲しかったのはコレなんだーーー!!」
ピカーーーン
となりました。
それに気付いたあたりから、将来は地方公務員になろう(なるべきかなあ)なんてことは忘れて、フィットネスの現場で働こうってなったんです。しかも、そういう気付きのきっかけになってくれたオーストラリアのフィットネス現場で。
変じゃないんだ、私らしいんだ、とルンルンで残りの留学生活を生きて、帰る間際にまたひとつ言ってもらえたこと。
「あなたがやりたいことは、あなたが将来やることでしょ?」
「私のやりたいことってやっぱ私が将来やりたいことなんだーーー!!」
ピカーンピカーーーン
ってなって、帰国後も頑なに「海外のフィットネスの現場で働く」という目標を持ち続けたのでした。周りに変わった奴だと思われることを恐れることなく...。
次回予告
帰国してからのNZ行くまでの3年間は、普段の生活は楽しかったけど大学院での生活がめっちゃ楽しくなかったので省略します笑
次はNZに飛んで、私が今後どういうプランでいるかという話です!