ニュージーランドに来て、人から体型のことを言われなくなったのにすごく安心しています。
日本にいた時は「太った?」「痩せたよね!」という会話が本当に嫌いだった。
今日はそんなことについて思うことがあるのでまとめます。
常に体型のことを言われてきた
生まれたばかりのころはハムみたいな体をしていた私ですが、幼稚園から高校初期まではガリガリでした。
友達の膝の上に乗ったら「カドカドしてて痛い」と言われたことがある。
好き嫌いが激しかったのもありますが、周りからは「もっと食べな」とか「もっと太ってもいい」とか言われていました。
高校に入って野菜を食べるようになり、食事の量も増えるようになると、体重が5キロ増えました。引退して受験期に入るとさらに5キロ。
ここでやっと女性の健康水準でいう標準くらいになりました。
そしたら今度は「太い足だ」と言われるようになった。
大学に入ってからもだいたい夏と冬で5キロの振れ幅があったので、毎年のように周囲から太った・痩せたの評価をされてきました。
留学して帰って来ると、「後ろ姿で見分けつかなくて二度見したわ」とまで言われました。
誰からの言葉かは言わないけれど、思い返してみれば私の身体に関するコメントの数はすごく多くて、そのひとつひとつを結構鮮明に覚えています。
全然気にしてないと思ってたけど、これだけはっきり覚えてるんだから気にしてたんだと思う。
身体に関するコメントの文化の違い
大学時代に初めて留学で海外に住む経験をしたとき、自分の体型のことを何も言われないのがかなり楽でした。
一度「私、日本にいると太いって言われるんだ〜」って言ったら「そんなことないよ、素敵な体なんだから自信持って!」みたいなことを言ってくれた。
いろんな体型の人がいる中で、私の体型は個性の1つだった。
ニュージーランドにいても同じです。
体型のことに関して話すのは今の職業上よくあることですが、これはプロ同士の会話。
ひさびさに会ったりしたフィットネスの専門家でもないような友人から「ひさしぶりー!あれ、痩せた?」みたいなことを言われることはまずありません。
むしろ、そういう体型へのコメントはかなりタブーです。
デリカシーがないと思われてもおかしくありません。
恐らく、そういうことが平気だった時代は数十年前に終わってる。
トレーニングしてる人たちに「お、締まってきたね〜」というのは褒め言葉。喜ばれるので話の中に入れるのはいいと思います。
でもそれが挨拶がわりになることはない。
知ってました?
身体のコメントは挨拶がわりに言っていいような軽いものではないんです。
ストレスを与える会話
以前、どこかの研究で「太った?って言われるとストレスホルモンが出る」というような内容のものを見たことがあります。
積み重なるストレスは身体に悪影響を与えるのは周知の事実。
循環が悪くなってむくみやすくなったり、代謝の悪い身体になったり、不調がでてきたり、生理不順になったりします。ストレスは血管さえ詰まらせるし、脳も萎縮させたりする。
科学的根拠をここでずらっと並べて証明することはできないけど、ストレスが身体に悪いことなんて説明しなくてもわかると思います。
痩せたい人に「太った?」と聞いたり、太れない人に「痩せた?」と聞くのは、わざわざ相手にストレスを与えるような会話をしてるということ。
なのになんで日本人はあんなに頻繁に太った?痩せた?っていう会話をするのが好きなんだろう。
体型で人を判断するな
「久々に会う人との会話がよく太った?痩せた?で始まることがある」っていうのをニュージーランド人に話したところ「そんなジャッジメンタルなの辛いね!」と言われました。
会ってなかった期間にその人が痩せたか太ったかがその人のステータスになる。
すごく不思議なことです。
中身の変化よりも外見の変化を見られてる。
テレビでは太った芸人が体を売りにして笑いをとってます。
髪の薄い芸人、肌の荒れた芸人、細い芸人。見てすぐわかる体のネガティブな特徴を笑いのタネにしてます。
女優や歌手がちょっと太ればネットでニュースになるし、激痩せしてもニュースになる。
人から自分の身体に関するコメントをされる筋合いなんてないんですよね。
自分の職業や趣味にコメントをされると文句を言う人はたくさんいるのに、身体のコメントに関して疑問を持つ人は少ない。
その太った、痩せたっていう会話、クソです。セクハラです。おせっかいです。そして何よりストレスです。
やめてください。その会話、おもしろくもなんともない。
私は身体のこと言われるたびにそう思ってきたんだけど、みんなそう思ってないんでしょうか?