こんにちは、ニュージーランドでパーソナルトレーナーをしているMikikoです。
前回の記事からしばらく何も書けず、時間があいてしまいました。
最近は新しい人達と沢山会って話して、言葉になるほど熟していない気持ちで溢れています。視野が広がる音がギシギシと聞こえる。そしてひたすら絵を描いている。
— mikiko🇳🇿Les Millsパーソナルトレーナー (@mkkoMIX) 2019年6月4日
泣いたり笑ったりハグしたり怒ったり愛したり寂しがったり。私は人間なんだと全身で感じながら生きています。
ブログ、休憩中。
安い言い方をすると、人間としての厚みを増やしていたのです。すごい詐欺師っぽい(笑)
実際には何をしていたかというと、今までしていなかった経験をしたり、新しい人達に会って自分の知らない世界の話を聞いたりして、錆びた感情の引き出しを開け閉めしていました。
正直な話、健康増進に関する勉強からは少し遠ざかっていました。
この分野で一生懸命になるあまり、専門性を高めたいがあまり、自分の周辺にあるものばかり見るようになっていたんです。
それをどうしても一旦ストップしたかった。
今日はたまたまそれがカチッとハマって、少しずつ言葉にしていきたいなあと思ったのです。相変わらず気まぐれね。
▼英語以上に大事なこと
NZではトレーナーはトレーニング指導だけできればいいという訳ではない。健康増進に関する知識以外にも必要なことが沢山ある。
— mikiko🇳🇿Les Millsパーソナルトレーナー (@mkkoMIX) 2019年6月8日
人種、文化、移住、政治、経済などなどの背景知識が必要。会話が成り立たないし相手の心も掴めないから。親に会う頻度以上に顔を合わせる関係、相手の理解は必須。
今日このことに関しても少しツイートしたのですが、ニュージーランドで人とのコミュニケーションをするのには英語以外にも必須なことがあり、それは英語の壁以上に大きな問題だと感じます。
それは、世間を知っていること。
色々な事柄の背景知識の引き出しの多さは、相手との信頼関係を築くのに必須。
つまり、話題の多い面白い人間であることが魅力の1つなのですが、そこで日本で大きな違いを感じるのが、真面目な話ができることです。
昨日テレビで見たお笑いの話や、朝のニュース番組での占いの話や、今話題の映画の話、ではない。
ここでいう真面目な話とは、政治、経済、紛争、文化、環境問題、そんな、日本の飲み会ではまずあがらない話題です。
私が日本で日本で政治や経済の話をしたのは、学校でぐらいででした。
ニュージーランドだと、友達とも同僚ともクライアントとも初めましての人達とでも、お酒を飲みながら、トレーニングをしながら、コーヒー飲みながら、お昼ご飯を食べながら、そういう話をします。
日本にいた時は、いかにボケをとるか、いかにバカになるか、いかに恋愛話をうまく話すか、そうやって場を盛り上げるようなことを考えていました。
真面目な奴は好かれない。
だからローラが環境問題や政治のことを取り上げればメディアは叩くし、せやろがいおじさんもお笑いというオブラートに包んで発信しなければなりません。
ここでは違う。
バカなことばかり言う人や浅い話題ばかりの人、そして視野の狭い人は人としてはいい人なんだけど、ちょっとね、な人として、ずっと一緒にいると危ないというか、あまりいい考えを持ってない人として敬遠されているのを目にします。
視野が狭いということがかなりネガティブなイメージを与える。
人として魅力的なのは、視野が広いこと、そして色々な分野の知識があることです。
専門分野があることはかなりかなり強みなことにかわりはありません。でも絶対的ではない。それしか知らないことはむしろマイナスだと思います。
▼日本から出た時に一番大変だったこと
私が初めて海外に住んだ6年前、 オーストラリアで一番大変だったのは、無知でした。
英語が分かるようになっても分からない話がたくさんあった。ただただ自分が知らないだけで、周囲の人は当たり前のように知っていた。
政治や紛争の話でした。
日本をよく知っている欧州出身の人が「日本はバブルだ」と言っているのを聞いたことがあります。
日本から出ない人は日本の外のことをよく知らない。そんな視野の狭さを見ていると、泡(バブル)の中で育ったかのようだ。そういう意味を込めて言っていました。
当時の生粋の体育会系女子は、自分の専門分野のことと好きな歌手のことしか知らなかった。それでも英語が必要なんだと必死に勉強していました。
▼仕事でもプライベートでも必要な「人間力」
私はトレーニングセッション中に、健康増進やボディメイクに関する話をたくさんします。これは私の仕事であり専門分野なので当たり前。
でもその他にも、相手の出身地のことや政治のことや文化摩擦のことなども必ず話にあがります。世間話をするんです。指導者と生徒の前に、人と人だから。
私は独り立ちした社会人が週2回とか会う人間です。その人の親よりも、ほとんどの友人よりも頻度が高い。職場の人の次に来る頻度ではないでしょうか。トレーニングだけの話をしていれば済むような関係ではないんです。
世間話をした時に、その人の人間性が分かりますよね。そこで私が薄っぺらな人間だったら、ここでは「あの人の指導はすばらしいんだよ、でもちょっとね」になっちゃうわけです。
この、でもちょっとねってすごい大事(おおごと)。
人が離れていくには十分な力を持っています。
知識がある人はどこにでもいます。どれだけでもいるし、今後もどんどん出てきます。
専門知識ばっかりあったって私は将来AIとかに潰されてしまうわけです。
でも私の人間性を持った人は私しかいない。
私が私だからこそ、誰かが会いたいと思って来てくれる、そう感じるんです。
私らしい私を大切にしていかないとな、と思うんです。
私の仕事場合、プライベートと仕事の境目が曖昧なのでこんなこと言うと「仕事のためにそんなにするわけ!」となってしまうような気もするのですが、これがパートナーだろうと親友だろうと隣人だろうと同じこと。
あなたがぶら下げてるものを求めて来る人達の周りにいるのはつらいこと。
あなたが内側に持ってるものを求めて来る人達に囲まれる時間って温かい。
英語力うんぬんじゃないんです。
移住をして新たな地に移り住んで、新しく人間関係を作っていくのは大変です。英語ができればどうにかなることでもありません。
私は、どこに住んでいても何語を話していても、こういう人間力をチャージする機会は今後も作っていきたいなと思うのです。
私の魅力はなんだろう。
あなたの魅力はなんですか。
言葉がないと伝えられないものですか。
おしまい。