生粋の体育会女子がニュージーランドに住む話

生粋の体育会系女子がニュージーランドに住む話

20歳までスポーツしかしてこなかったド体育会系女子がニュージーランドに渡り視野を広げる話。

生粋の体育会系女子が

ニュージーランドに住む話

〜どうせ国際恋愛とかもしちゃってんでしょ〜

今なんて、充実していないくらいがちょうどいい

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こんにちは、ニュージーランドでパーソナルトレーナーをしているMikikoです。

 

今回は、満たされていてはどこにも進めないことについて。
両手が塞がっていては新しいものは入ってこない、そんなことについてです。

 

▼慣れ

最近、あるきっかけで長年持っていたものを手放しました。

 

手放してすぐは、物足りなさとか、ぽっかり空いた感とか、体の癖で覚えているのにそこにない違和感とかがあって、「あ、そうか、ないんだっけ」と気付くことが数週間続きました。

 

最初にあったのは戸惑い不安

それから、「じゃあこの隙間をどう埋めようか」と考えるようになった。

そして新しいものを実際に入れていくようになりました。

 

隙間があり手持ち無沙汰な状態は、ただただ不安でしかなかったです。

 

でも新しいものが入りはじめた時に、今までの私には新しいものが入ってくる隙間もなかったことに気づきました。

 

▼隙間のある生活 

持ち物も、仕事も、人間関係も、私生活も、チャンスも、隙間がないと新しい風は入ってこない。ぴっちり詰まってたら新しいものに出会うことはない。

 

古い服を捨てないと新しい服を買う必要がない。

スケジュールが詰まってると、新しいイベントは入ってこない。

いつもお決まりの人といてばっかりだと、新しい出会いはない。

今日やることで目一杯だと、先のことを考える余裕はない。

仕事で手一杯だと、よりいいチャンスも掴めない。

気持ちにも余裕がないと、新しいことを始めようと思わない。

 

本当は、何かを手に入れてから捨てたいと思うんです。
次にどこに行くのかハッキリさせてから、今持ってるものを捨てたい。
地に足がついていないフワフワした時間は不安だから。

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でも現実でそんなことあるのって、大学生まで。
大学卒業前に就活して就職先を決めた時にそういう安定生活は終わります。

 

▼隙間が人を育てる 

今までの27年間を振り返ってみると、精神的に大変で不安で仕方なかった時期が何度かあります。

 

大学時代にテニスを引退し、留学準備でひたすら英語の勉強ばかりしていた時。

留学後、周囲が就活で就職先を決めていっている中、自分はひたすら海外移住の準備をするしかなかった時。 

 移住後、無職で1日中パソコンの前で手当たり次第仕事を申し込んでいた時期。

 

どれも、所属がはっきりしなくてフワフワしていた時期。

振り返ってみれば、あの不安で仕方なかった時期は、いま私がやっていることに直結する一番大事な時期でした。

 

フワフワした時間。

 

こんな決定的な時期以外にも、最近は仕事に余裕ができて隙間時間ができるようになると、新しい人達に会いに出て行くようになったりしました。

当然ですけど、そしたら知り合いが増えるんです。

知り合いが増えたら新しい英単語や英語表現に触れることが多くなって、英語の勉強もっとやろうと思うようになりました。

新しい出会いをきっかけに、あの「あ、そうか、ないんだっけ」っていう心の隙間も埋まっていきました。

 

フワフワした時間から、どんどん次につながっていく。

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▼隙間を埋めては崩すの繰り返し

先ほども言いましたが、フワフワした感じは心地よくありません。

不安なんです。戸惑いの連続。

 

だからこれを軌道に乗せるために私たちは日々頑張るわけなんですけど、実際に軌道に乗ってしまうと、何も起こらないんですよね。

 

同じ日々の繰り返しになる。

そして、気付いたら新しく次の何かを探している。

 

ぴっちり詰まった本棚は、見栄えはいいですが、新しい本が入ってくる余地はありません。人生ってきっと、ちょっと乱れてて隙間がある本棚がちょうどいい。

 

詰まったら捨てて、新しいもの入れて、ちょっとしたらまた古いのを捨てて、新しいものを入れて...。

 

そんな繰り返しなんだなと。

 

詰まった本棚のままで満足できる人もいると思います。

でも、詰まった本棚を目の前にしてしばらく、何かモヤモヤした気持ちだけあるけれど何もできてない人はたくさんいるはずです。

 

そんな人、詰まりすぎてるのではないでしょうか。

今が充実していたら次なんてありません。

何か捨てたら、どこかでなにかが動き始めるのではないでしょうか。

 

と、そんなことを思う最近であります。