生粋の体育会女子がニュージーランドに住む話

生粋の体育会系女子がニュージーランドに住む話

20歳までスポーツしかしてこなかったド体育会系女子がニュージーランドに渡り視野を広げる話。

生粋の体育会系女子が

ニュージーランドに住む話

〜どうせ国際恋愛とかもしちゃってんでしょ〜

明日無くなると知っていたら、私は自分の足を愛せるだろうか

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こんにちは!ニュージーランドでパーソナルトレーナーをしているMikikoです。

 

今日は、あるのが当たり前だと思っていること、そしてコンプレックスについてです。

 

▼泳ぐのを止めると死んでしまうマグロ

日本にいた時も、ニュージーランドにいる今も、世界中にいる友達と話をしても、みんな口を揃えて、自分の身体にコンプレックスを持っていると言います。

 

周囲の人間からすると大したことはないそのコンプレックス、言われないと気づかなかったり、言われても気づかないような些細なことだったりします。

でも本人にとっては大問題。
鏡を見るたびにそこばかりに目がいく。
見られたら恥ずかしい。

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足が太いこと

二の腕が垂れてること

顔が丸いこと

お腹が出てること

胸が小さいこと

胸が大きいこと

痩せすぎなこと

姿勢が悪いこと

目が小さいこと

毛深いこと

 

以前、ボディビルダーの女性が、大会前日のキレッキレの身体で「私、まだ自分の身体に自信ない」って泣いているのを目にしたことがあります。

それを見て「理想の身体ってなんだろう?」って思った。

 

誰もが羨む身体と顔を持つモデルですらコンプレックスを持っている。

一度整形した人は、次々と整形したいところが出てくる。

どんなに頑張ってもコンプレックスは無くならない。

 

まるで常にどこか嫌いなところがないと息ができないかのように。

みんなが当たり前のように持っている。

 

▼大切にしてすらいない

私にも、自分の身体が嫌いで嫌いで仕方ない時期がありました。

 

太ももの内側のお肉のせいで、新しいジーパンを試着するたびにゲンナリ。

嫌いでしかたなかった、私の足。

太い、形が汚い、筋肉が多い、脂肪も多い、短い

 

そんなある日、ジーパンの買い物が終わった夜に、風呂に入って髪を乾かしながらふと「もし明日、交通事故で両足が無くなったら、私はこの足をもっと楽しめばよかったと後悔するだろうか」と思ってみたことがあります。

 

それから、「私がもし両足が無い生活をしていたら、自分の足が嫌いで嫌いで仕方ないと思ってる人に『だったら私にちょうだいよ』って言うんじゃないだろうか」と。

 

持っていることが当たり前で、たいしてマッサージもストレッチもしないでほったらかしにしていて、嫌っていて、なるべく意識を逸らすようにしているこの足。

 

無くなると分かっていたら、もっと受け入れて大切にしてあげるんじゃないだろうか。

 

今あるものを活かしてどうにかしようとするんじゃないか。

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そんなことを考えているうちに、私は自分が持っているものを大切にしようとする努力をしていないことに気がつきました。

 

人の物ばっかり欲しがっていた。

 

自分の物はそっちのけ。
今のものを改善することより、置き換わったらいいのに、なんてことばかり思っていました。

 

自分の足が自分の物である以上、私が自分の足を認めてあげることができなかった。

 

私は、人の足という、100%叶えることのできない理想と戦っていたんです。

 

▼隣の芝は青い

身体のコンプレックスだけではないはずです。

 

あの人の仕事はいいなあとか

あの人は学歴があっていいなあとか

あの人は性格が明るくていいなあとか

あの人はいい家庭に生まれていいなあとか

あの人は海外に住んでていいなあとか

 

届かない理想を眺める前に、人の何かを羨む前に、自分が今持ってる物をしっかり愛して接しているでしょうか。

 

嫌なところ探しじゃなくて、いいところ探しができるんじゃないか。

そのいいところを活かして、自分にぴったりの方法で輝くことができるんじゃないか。

私が自分の何かを嫌う癖を克服したのは、こんな考えからでした。

 

自分が持ってない物ばかり欲しがるのは簡単です。

でも、今持ってるもの、明日起きたら無くなるかもしれない。

その時に私は後悔したくないと思った。

自分の幸せは自分で作る。

気持ちの持ち様で世界の色は変わります。

私が見る世界の色は、私が決める。