生粋の体育会女子がニュージーランドに住む話

生粋の体育会系女子がニュージーランドに住む話

フィットネスの専門家が、ひたすら健康と全然関係ない人生話をするブログ。

生粋の体育会系女子が

ニュージーランドに住む話

〜どうせ国際恋愛とかもしちゃってんでしょ〜

私は「出会いを捨てない努力が必要な大人」になった

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こんにちは、ニュージーランドに住んでいるMikikoです。

 

ブログしばらく空いてしまったなあ。

下書き記事ばかり増える一方でした。ついにそのひとつをまとめます。

あけましておめでとう。

 

最近わたしが何を考えているかというと、人間関係について。

 

ネットが普及したり海外旅行が身近になったりで、人に出会う機会で溢れている世の中ですが、あまりにもそんな機会がありすぎるとそれが当たり前になってしまって大切にしないものですね。

 

実際に出会ってる人数の母数を考えてみると、一期一会という言葉を実感する機会はほとんどないように感じます。

 

最近は特に、人との出会いを捨てないことって大変だと感じることが多くありました。

 

▼マッチングアプリという名のカタログ

2019年、5年半付き合い同棲もしていた彼氏と別れた後に、その彼に勧められて私もマッチングアプリに挑戦してみました。(なぜ勧められたかは省略します笑)

 

ニュージーランドでは出会い系みたいな嫌な扱いはなくて、シングルの人はほぼやってると考えていい程、20〜30代の人たちの間では普及しています。

パートナー探しの目的だけではなく、同性の友達探しの機能までついていたりします。

友達やパートナーはオンラインで探す時代になっている。

 

やってみて最初に思ったのは、人間のカタログみたいだな、という感想。

人選びが、ど、れ、に、し、よ、う、か、な〜、って暇つぶしのひとつになる。

お正月の時期にチラシ見ながら「なんか欲しいものはないものか」と見ているのと大差ない。 

 

もちろん自分が選ぶ側なだけではなく、自分自身も選ばれる側。

カタログでショッピングするときの商品のひとつみたいな、安い存在になったというか、尊い個人ではなくて、大衆の中の一人、というような悲しさを覚えました。

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その後、勢い余って5人くらい同時進行でチャットしてたんですけど、だんだん適当になってきて、どの人と何の話をしたか分かんなくなっちゃうんですよね。それで、面倒になって話をブチっと切っちゃう。

で、次の人とチャットを開始して一からやりなおす。やりなおしが簡単にきくんですよ。

 

もちろん相手もそんな感じでアプリを使ってるので、突然ブチられたりする。 

少し悲しいけれど、心に響く悲しさではなくて「あ、残念」程度。

 

普段交わることのないような人と話す機会が持てたのに、あまりにもその機会がありすぎるもんだから、いらなくなると放り投げちゃうんですよ。

一回会っても「気が合わないな〜」と思うと、その後テキストの返事を一度しないだけで、相手も追ってこないし、何もなかったことになって忘れ去られる。

 

「人って何だろう」「一期一会って何だろう」

そんなことを考えてました。

 

風が吹けば切れてしまうような糸で繋がっている程度。

思い出たっぷりの手作りのお皿ではなくて、IKEAで買ったような、割れたら次買えばいいやっていうお皿。

間違えたらその紙は捨てて新しい紙を使えばいいのです。

 

寂しくないですか。

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▼お国柄か、世代の問題か

そんな使い捨てカメラのような人間関係は、マッチングアプリに限らず仕事をしていても見つけられます。

 

何ヶ月も一緒に時間を過ごした相手ですら、いきなり関係がブチっと切れたりします。

さようならと言う労力すらかけずに、消えてしまうんです。

そんな人が本当に多い。

 

ニュージーランドというお国柄なのか、出会いが豊富な現代に育った私たちの世代の問題なのかは分かりません。でも、毎日のように当たり前に起きています。

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▼使い捨てにしない努力

こんなことを考え始めてから、私も正直人との出会いを使い捨てカメラ状態にしちゃってることがあると気付きました。全員との出会いをもう2度と起こらない奇跡かのように大切にできていないと思う。

 

人との関係を保つって大変。

気を使ったり、言葉を選んだり、相手の気持ちを考えたり、相手を許したり。喧嘩したり。仲直りしたり。

 

エネルギーを使う。

 

使い捨てができる関係の場合、何かゴタゴタがあればそのまま逃げればいいだけです。

何か失敗したらそのまま逃げればいい。

気まずいことになったら逃げればいい。

用が済んだら消えればいい。

ワンナイトしたら名前も聞かずに部屋を出て行く人もいるらしい。

 

楽なんだよ、その方が。

 

でも、それでいいのだろうか。

ちょっと寂しくないか。

 

▼数か質か

留学をした20歳くらいの時期から、外に出ていろんな世界を見て、いろんな人に会って、いろんな意見を聞いて、知見を広げるということを意識していました。

 

今でもFacebookの友達が1年で100人以上増えるなんてこともざらにある。

だから友達は多いんですよ。知ってる顔が多い。でも結構「この人どこで会ったんだっけ?何してる人だっけ?」って人がいる。本当に、顔と名前を知ってるだけ。

 

最近は、そういうの一旦休憩してもいいかなと思ってきた。

もうちょっと今知ってる人のことをもっと知ろうとしてもいいんじゃないかなと。

 

ひとりフラフラとどっかに行って新しい出会いばかり求めているうちに、地元に住んでる小学校の同級生からは「みきこはどんどん遠くに行っちゃう気がするよ。大物になっても私のこと忘れないでね」とか言われるようになってしまった。

 

忘れるわけないのに、忘れられるかもしれないと思われている。

昔親しくしていた人をほっといてる。

好きな人たちとの関係を保つ努力、私は怠っているんじゃないかなあ。

中学とか高校とがで大好きで毎日顔合わせてたような人たちにしばらく「好きだ」とか「大切だ」とか伝えてないなあ。

 

そんなことを考えているのでした。おしまい。