こんにちは、ニュージーランドでパーソナルトレーナーをしています、mikikoです。
今日は感情の引き出しは、使っていないと使えなくなることについて。
私には、人前に出ると鍵がかかって動かなくなる引き出しがあります。
▼ことの発端
去年ダンスを始めたんですけど、私が今ニュージーランドで教わってる先生は、技術的な部分よりも表現力や個性に重きを置いています。
みんなも最初に教わった振りを繰り返しているうちに自分流のアレンジを混ぜてきちゃう。先生も直さない。大体のガイドラインがあって、その周辺を飛び回っていていればOKだよ〜という方針。
もともと敷かれたレールをキッチリなぞるのが得意なタイプの私は困惑です。
「ここフリースタイルで好きなように踊って〜!」と言われても大パニックで「あの、私のとこだけ振り与えてぐれまぜんが...!!」と言ってます(笑)
必死やで。
そんなんなんでクラスの中でも遅れをとってると感じるので、たまに個別レッスンお願いするんです。
でもそれがね、私は技術を教わりに行ってるつもりなんですけど、蓋を開けてみればほぼ、私の性格と生まれ育った環境と今生きている環境のカウンセリングみたいになって終わっちゃうんですよ(笑)
そこで発見したことがある。
私には感情の引き出しが少ない。
▼ポジティブ人間、悲しみを表現できない
私は姉にすら「あんた落ち込むことあんの?」って聞かれたことがあるくらい根が明るいんですね。なんか嫌なことあっても折れない自信がある。というか、一度折れるんだけど、その後絶対起死回生するんですよ。負けて終わらない。
そもそも、解決策を探すことができるものは「悩み」ではなくてただの「不具合」なので、直せばいいじゃん、解決策を見つけるまで考えたらいいじゃん、解決できなさそうなのは投げちゃえばいいじゃん、というのが私の考え方。
根本にある性格がそんなんなので、まわりも「mikikoは明るくてスポーティーで元気なヤツだ」と私のことを扱ってきたのは当然のことだと思います。
でもそれがいつしか「私は元気なヤツという期待を崩しちゃいけない」と構えるようになっていたようです。
明るい強い人間として生きていくよう心がけてるうちに、悲しみを人前で表現できなくなっていました。
ダンスの先生に「顔と全身で悲しい時や苦しい時のことを思い出しながらダンスするの」と言われても、できないんです。一人でやったらできるのに、誰かが見てるとできない。
太陽が当たっていない自分の部分を見せるのに躊躇してしまう。恥ずかしくて。私はあなたのことをまだそこまで信用できてない、とか思ってしまう。急に鎧で全身をガードし始める。
(エルサだ...。)
子供のころ、泣き虫人間だった私はいつしか人前でほとんど泣かなくなったし、暗い内容の相談事もしなくなっていました。自分で感情をコントロールして、感情にコントロールされないように生きていた。
ダンスの先生曰く、「それってきっと武道やってて習ってきた事じゃないの?」
確かにそうかも。5歳から10年やった剣道、精神面で特に学んだことはないと思っていたけど、こういうところで響いてきてるのかも。
▼浅い
日本でもさ、自分の悲しみを人前で表現すると「メンヘラだ」と煙たがられる環境じゃないですか。ニュージーランドにいてもそれはあまり大きな差がなくて、特に女として生きていると、喜びや愛以外の感情を表現することがマイナスに働くことの方が多いように感じます。
怒ったり悲しんだりしたらヒステリックだとか面倒だとかいう印象を与える。
ヒラリー・クリントンが大統領選で「 女性は感情的で信用出来ないと言われないために理性的であることを心がけていたら、感情が見えないので共感できないと言われた。」と言っていたのを思い出します。
そういうのに慣れていて気付かなかったのだけど、それってめちゃくちゃ息苦しくないですか。
いつも笑顔で前向いているのが理想で、感情をコントロールして抑えていて。
人は、押し込めることをコントロールと呼ぶのでしょうか。