生粋の体育会女子がニュージーランドに住む話

生粋の体育会系女子がニュージーランドに住む話

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生粋の体育会系女子が

ニュージーランドに住む話

〜どうせ国際恋愛とかもしちゃってんでしょ〜

ニュージーランドで原爆の話をする私

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こんにちは、ニュージーランドでパーソナルトレーナーをしているmikikoです。

 

8月9日は長崎原爆の日。地球上で最後のピカドンが落とされてから75年になります。

今日は、私がニュージーランドで原爆のことを話して感じた私たちにできること・すべきことについて考えます。

 

▼なぜ私が原爆の話をするのか

私の育ちは東京ですが、家系は長崎にあります。

東京の学校ではあまり原爆のことは習いませんが、夏休みを長崎で過ごすことの多かった私には、8月9日にサイレンが鳴ることも、資料館で焼け焦げた展示物を見ることも、戦争関連の映画を見ることも、夏の行事のひとつとして捉えていました。

 

祖父母が原爆を経験したことも、戦争のことを初めて習う小学校低学年時には知らされていたので、特になんとも思っていなかったというか、特別な思いを寄せることもなく、現実味のない歴史話でしかありませんでした。

 

でも、私の中でこの原爆への意識が大きく変わったのは2017年。
 

初めて爆心地から空を見上げて以来です。

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「じいちゃんもばあちゃんもこの空見てたんだ...。」

 

「原爆が落とされた日に、じいちゃんかばあちゃんのどちらかがここに立ってたら私は今ここにいなかったんだ...。」

 
「焦げた人と溶けた皮膚と帰ってこない人たちの話ばかりする毎日ってどんなんだよ...。」
 
「津波の後に海が見れなくなるように、戦争の後は空を見れなくなったんじゃないのかなあ...。」
 
そんなことを考えていました。
 
目を閉じたら、空から落ちてくる爆弾が見えるような気がした。
ヒューーーって音が聞こえて、最後は音がなくなって、そのままドカンと光って私の身体が吹っ飛ばされて、真っ白になった。
 
君の名は。でそんなシーンがあったなあ。
そうやって人は死んだんだなあ。
 
目を開けたら、何も変わってなかった。
時間が巻き戻って1945年に行ったけど、また2017年に戻ってきたようでした。
緑がいっぱいで、風が吹いていて、人が歩いていた。
 
今まで歴史で習ってきたことが、初めて全部自分の体感になった瞬間でした。

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 ▼じいちゃん

私が爆心地を訪れた次の日、じいちゃんが原爆投下の翌日に爆心地にいたことを知りました。

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(見せてくれた被爆者手帳)

 

「原爆落ちた時何してたの?」って聞いたら、初めて教えてくれたことだった。この質問をしたのは8歳の時、学校の宿題で戦争体験を聞いた時以来。その時はこんなこと話してくれなかった。

 

真っ赤に燃える空が広がる方向に向かって電車に乗り、そのまま2日間、浦上町で救助を手伝っていたらしい。当時15歳とかのじいちゃんは、溶けた皮膚を引きずって歩く人や、井戸に積み重なった死体や、目が飛び出た死体を見ていたんです。私が教科書や映画で習ったあの風景、じいちゃんが見ていた。

 

その記憶が私の血液にも流れていた。そんな気がした。

 

原爆投下の翌日、まだ街は燃えていたはず。

瓦礫の下敷きになった人の声もまだ聞こえていたはず。

病院の受け入れ待ちをしている間に死んでいった人もたくさんいたはず。

まだ血も流れていたはず。

身体が焼ける匂いも。

 

そんなことがあった2017年以来、「この被爆者の体験を英語で世界に伝えられる人ってどれだけいるんだろう」と考えるようになりました。私のじいちゃんの体験談は、どの歴史資料にも載ってない。今となっては私の家族しか伝えることのできない話。私が紡がないと、どこかで途絶えてしまう。

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じいちゃんが言っていた「アメリカも日本も悪くない。戦争が悪いんだ。」という言葉、どうにかして伝えないと。 

 

▼原爆の話への反応

 そんな気持ちから、こんな記事を書きました。

ニュージーランドの学校では深く習うことのないHiroshimaとNagasakiのこと。私は知っている。聞いて欲しい。何が起こっていたのか聞いて欲しい。

 

一番多かった反応は「こんな貴重な話をシェアしてくれてありがとう」という感謝の言葉でした。私が今まで当たり前のように知っていた原爆の話を熱心に聞いてくれる。今しか聞く機会がないかのように。

 

目をまんまるくして驚いて話を聞く様子を見ると、自分の立場の特別さに気づかされます。

 

それから彼らが読んだ原爆に関する英語の記事について話をしてくれます。

その話は、私が聞いたことがないものばかり。

台湾に遊びに行ったとき、日本軍がどうやって台湾人を虐殺していたかの資料があって「こんなの学校で教わってないんだけど!?」ってなったのを思い出す。

 

日本語では収集しきれないアメリカ側の情報や、政府が話したがらない都合の悪い情報を、英語だと学ぶことができます。これは本当に、他言語を学んだ人の特権だよね。

 

誰が悪かったか、あれが正しかったのか、そんな話はしない。

ただただ、何が起こっていたのかを話している。

そして、もうあんなことは起こっちゃいけないね、と話す。

 

▼私たちにできること

- 話をする

こうやって、意見交換や情報交換が気軽にできるのが現代のいいところだと思います。

75年経った今、唯一の被爆国っていうのは私たちにとっては当たり前のことかもしれませんが、他の国にとっては私たちからしか聞けない話。貴重なんです。

ドイツのアウシュビッツの話
ロシアのチェルノブイリの話
アフガニスタンの戦争の話
ミャンマーの難民の話

どれもニュースで読むのと本人たちから聞くのでは全然話が違う。私たちが知ってることは、人々が知る価値のある話です。もっと話されるべき。聞きたい人はたくさんいる。

 

だから、私たちはもっと自分からこの話を持ち出すべきだと思う。私たちにとっても、外の意見も聞けて、自分の偏った知識を修正することができるとてもいい機会になる。

 

こうやって話をすることが直接何かに役立ったと感じられることはないかもしれません。でも、いつか戦争が起こりそうになった時に、戦争がダメなものだと当たり前のように考えられる人が増えるように。繰り返さないように。

 

語り継ぐ。それが私たちにできること。

 

- 核について考える

ニュージーランドには原子力発電がありません。

そんなこの国では、世界で唯一の被爆国である日本が原子力発電に頼っていて、2011年の津波でまた核で人的被害を出す国になってしまったことは皮肉だと捉えている人の話をよく聞きます。

 

首相のジャシンダも、核は廃絶すべきとのメッセージを出している。

 

核の廃絶については、まだまだ日本では賛否両論のあるトピックだけど、私たちの年代には意見を持たない人が多い気がします。調べて考えて意見を持つことで、家族や自分の身を守るために必要なことが見えてくるのではないでしょうか。

福島第一原発で分かったと思うけど、事故が起こってからでは遅いから。

 

▼まとめ

自分が見たことも体験したこともない戦争についてここまで深く考えるようになったのは、25歳になってから。知っていたことが心に響くまでには時間がかかりましたが、これから私は私の役割を果たしていこうと思います。

 

じいちゃんの言葉がこのまま消えないように、私はニュージーランドで原爆の話を続けます。