こんにちは、ニュージーランドでパーソナルトレーナーをしているmikikoです。
最近、週に1回は必ず1人でコーヒー片手にボーッとする時間を取っていて、自分の頭のなかのぼんやりとした考えを輪郭のある形にする習慣をつけています。
見たもの、見えないもの、聞いたもの、聞こえないもの、触れたもの、触れたかったもの、考えたこと、考えさせられたこと。
文にしてみたり、図にしてみたり、絵にしてみたり、音にしてみたり。
ブログが止まっていたのもその関係です。
パーソナルトレーナーという職業柄、giveばっかりになってしまって自分の中身がすっからかんになると感じることが多々あります。自分でtakeする時間を作らないとバランスが崩れる。
アンパンマンみたいに顔をあげすぎると元気なくなっちゃうわけ。私の世界ではジャムさんとバタさんがいないので、自分で顔を作ってあげなければならんのです。ほんとあのアニメよくできてるよね。
仕事では全力でgiveしたいので、思いっきりtakeの時間を取ることにしたんです。
今日はそのうちの1つのトピックについて話をしたいと思います。
愛と強さについて。
自分の経験した痛みを笑顔で話しているうちに、哀しいと楽しいの繊細な部分で心のシステムにズレが生じる気がする。
— mikiko🇳🇿NZのトレーナー (@mkkoMIX) 2020年11月1日
表情のまま受け取らない。
過去の悲しかった経験を笑顔で話す人と会話する時に注意してること。自分もやりがちなので「真意」って何かなと考える時間をとる。
▼笑顔が武器であり弱点
以前、こんなことを書いたことがあります。
私は、悲しみを笑顔で隠せてしまうタイプの人です。
正確には、そういうタイプを長らくやっているうちに、悲しみを表現するのが苦手な人になってしまった人です。
ダンスのレッスンを始めて以来、表現の世界に足を踏み入れ、そのサビついた引き出しも少しずつ開けられるようになってきました。と同時に、私と同じように悲しみを笑顔で隠している人が見分けられるようになってきたんです。
過去の失敗談。
失恋経験。
誰かに言われた嫌なこと。
誰かにされた酷いこと。
表面だけ見ると、笑い飛ばしてしまっているように見える。強い人っていう印象のその人たちは、強いのではなく、強がりさんだ。
▼向き合う時間
悲しい話って、悲しいんです。
だから、悲しい顔をしたり泣いたりするもの。
さっきのツイートでも話したけど、悲しい話を笑って話していくうちに繊細なシステムはバグると思う。悲しい感情の引き出しに鍵がかかる。人前で泣けなくなる。
悲しい話を悲しい顔でできない。
泣き崩れてしまったような悲しい経験も、ベッドから出れなくなったくらい傷ついたことも、笑顔で話せてしまう。私はそれを技術と呼んでいます。強がりさんは技術者なの。
なんで悲しい話を笑顔でするんだろうか。
笑顔で話さないと泣いてしまうからだと思うんです。
だから、笑顔という武器を使って隠すんだ。
1人でいる時に、その悲しいことについてぼーっと考えていると悲しくなるはず。涙も出そうになる。だから考えるのをやめる。つまり、ちゃんと向き合う時間を作っていないんです。向き合うと、その時の辛い気持ちや悲しくて泣いちゃって仕方がない感情が戻ってきて怖いから、見れない。
痛いものを見ずに次に進む。世ではこれを「立ち上がる」と呼びますね。本当にそうかな。
▼始まる前に終わらせる
具体的に言えば、私の恋愛。
1年半前に別れたヒゲ(5年付き合ったニュージーランド人)とのことも、その後に会った人に酷い扱いを受けたことも、私はちゃんと向き合ってきてません。痛いから。
もちろん、笑顔で話せます。たぶん悲しい顔して話したら泣いちゃうと思う。
当時はズンと沈んだけど、仕事を休むこともなく、1人の殻に閉じこもる時間を作ったわけでもなく、いつも通りの日常のリズムを崩さずに生活していました。
一見すると、立ち上がって前に進んでいるように見える。私もそう思っていた。
でも考えてみたんです。
ちゃんと向き合ってないから、怖いままだ。
1つの恋が終わることが怖い。
そんなんだから、次にもいけておりません。
次のことを考えようとすると、知らぬ間にもう終わった時の痛みのことを考えてる。
始まる前に、終わった時のことを考えてる。
どうせ別れてあの痛みや悲しみを経験しなきゃいけないくらいなら、始めないでいいじゃないか、と。
独身生活はそれなりに充実して楽しくはあるのだけど、いい出会いにはオープンでいます。でも実際にいい出会いが目の前に来ても「私はこういうの本当に欲しいと思ってるわけ?」とか「仕事と両立させるくらいの根性ある?」とか「私は独身ですでに超ハッピーに暮らしてるから必要なくない?」とか考えすぎちゃうの。
「あれ、前、進んでないんだ」って気づいた。
▼強さって何だ
立ち上がる時の労力をなるべく軽くするために目をそらして、もう痛みを感じなくて済むように壁を作って自分を守っている。だから笑って悲しい話をする。これは強さとは言いませんね。むしろ弱点です。
でもそうやって壁を作って自分を守る人生と、痛みも悲しみもあるけど感情に正直に生きる人生と、幸せなのはどちらでしょうか。
(そもそも幸せって何だ、とまた別の思考に走る私ですが、そのことはまた今度。)
強さっていうのは、弱さを見せることができるというのは違う気がする。
折れないことでもない。
落ち込まないことでもない。
強さっているのは、向き合うことができること。それから1回折れた後にも「次も折れるかもしれない」と知りながらまた立ち上がること。
折れることさえもできず、過去に折れたことすらも向き合えていない私のような強がりさん、結構よく見かけます。
だから、
どんな言葉をかけるのが適切か?
この人の真意はなんだ?
過去に何があったんだ?
どんな感情がこの人を立たせてるんだ?
なんて考える機会がたくさんある。
皆さんの周りにいる強い人、陽気な人、面白い人。その強さは弱点だったりするんじゃないでしょうか。そんな視点で考えるのも時間の無駄ではないように思います。